モデルコース
城東エリア 大島駅周辺
都営新宿線「大島駅」・「西大島駅」・「東大島駅」付近のエリア。全国的にも珍しい川の上の駅である東大島駅の下を流れる旧中川沿いの遊歩道は、東京にいることを忘れてしまうくらいのどかでおすすめの散策スポットです。旧中川と小名木川の合流部に位置する旧中川・川の駅では、水陸両用バス『スカイダック』が川に勢いよく進水する姿をほぼ毎日みることができます。全国的にも知名度の高い砂町銀座商店街では、楽しくお買い物をしながら下町人情にふれることができます。アクセスは、都バスがおすすめです。
観光テーマ・スポット一覧
1. 大島稲荷神社(おおじまいなりじんじゃ)
五穀豊穣の神をまつる神社で、大島神社とも呼ばれています。
境内には、松尾芭蕉の句が書かれた江東区登録文化財の碑「女木塚碑」があるほか、芭蕉像や小林一茶の句碑などもあります。
2. 東大島神社(ひがしおおじまじんじゃ)
江戸時代中期に小名木川水運をもとに村々が栄え、その鎮守様として五つの神社が建てられましたが、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により町並み全てが灰燼と化し、社殿・社史ともに焼失しました。町並みの復興とともに神社再建の声があがり、昭和27年(1952)に五社を合併し現鎮座地に社殿が建立されました。
3. 宝塔寺(ほうとうじ)
慶長15年(1610)に法印賢意が創建した真言宗智山派寺院の宝塔寺は、稲荷山小名院と号します。宝塔寺には江東区登録文化財が多数あり、その中でも江戸時代の商人が商売繁盛を願って塩を供えたことが由来の「塩なめ地蔵」が有名です。また仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれています。
4. 中川船番所跡 (注:史跡)(なかがわふなばんしょあと)
江戸時代、関東内陸・東北方面の物資を江戸に輸送する重要な河川である小名木川が旧中川に合流するあたりにあった中川船番所の跡地です。船番所は、はじめ隅田川に近い萬年橋の北詰め(現在の常盤1付近)にありましたが、寛文元年(1661)に中川に移転したと伝えられています。
5. 中川船番所資料館(なかがわふなばんしょしりょうかん)
水彩都市・江東の歴史を伝えるために、小名木川の中川口に設置されていた関所「中川番所」の近接の地に資料館を開設し、ジオラマなどにより、中川番所を再現し関東や江戸の水運、江東区の歴史・文化がわかる資料を展示しています。
6. 旧中川・川の駅(きゅうなかがわ・かわのえき)
川の駅は、旧中川と小名木川との合流地点に、新たな水辺のにぎわい拠点として平成25年(2013)3月に開設されました。都内初となる水陸両用バスが川に進水するためのスロープが整備されており、勢いよく川に飛び込む水陸両用バスの姿を間近で見ることができるほか、手漕ぎ船乗船場、誰でも立ち寄れるにぎわい施設があります。
7. 亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)
関東一大きいといわれる「茅の輪」、オトタチバナヒメゆかりの「笄塚」、そしてその笄塚を利用して築かれた「亀戸の富士塚」で有名な神社です。
笄塚には、ヤマトタケルノミコトの妻オトタチバナヒメが荒れた海を鎮めるため海に身を投げた後、笄が流れ着いたという逸話があります。
安政2年(1855)の大地震で社殿が倒壊しましたが、明治11年(1878)富士山より溶岩を運んで富士塚を築き、その上に再建されました。この富士塚は、江東区の有形民俗文化財で、浅間神社に隣接する浅間公園内にあります。富士塚上に再建された社殿は、平成9年(1997)に東京都の再開発により現在地に移設されました。
8. 江東区スポーツ会館(こうとうくすぽーつかいかん)
江東区が運営する総合屋内スポーツ施設です。大・小体育室、各種武道場(柔道・剣道・弓道)、トレーニング室・スポーツサウナ・プール・会議室を完備しています。大型バスが駐車できる駐車場も完備しています。
9. 左行秀鍛錬場跡 (注:史跡)(さのゆきひでたんれんじょうあと)
左行秀は、弘化4年(1847)に土佐藩の城下に入ることを許され、文久2年(1862)頃に藩主山内容堂に従って江戸に移り、鍛刀するところとなりました。この時期の作品の刀銘から、当時土佐藩の下屋敷のあった当地で仕事をしていたことがわかります。作風は、実践用として作られた古刀の良さを重んじた復古調を示しています。
10. 中浜万次郎宅跡 (注:史跡)(なかはままんじろうたくあと)
中浜万次郎はジョン万次郎の名で知られ、幕末から明治にかけて通訳や教師として活躍しました。14歳の時、出漁中に遭難して無人島に漂着していたところを米国の捕鯨船に救助され、同国に渡り教育を受けました。帰国後は土佐藩、幕府に登用され、明治元年(1868)に再び土佐藩に登用され、明治2年から明治13年まで、当地にあった土佐藩の下屋敷に住み、開成学校(東大の前身)の教授などを勤めました。
11. 東京大空襲・戦災資料センター(とうきょうだいくうしゅう・せんさいしりょうせんたー)
昭和45年(1970)より、東京大空襲・戦災の文献や物品を収集してきた「東京空襲を記録する会」の資料を活用し、市民の蒙った戦争の惨禍を次代に語りつぎ、平和の研究と学習に役立つ場になるようにと、平成14年(2002)3月9日に多くの方々の協力を得て、(財)政治経済研究所により開館されました。
12. 石田波郷宅跡(いしだはきょうたくあと)
石田波郷は、大正2年(1913)に愛媛県で生まれ、昭和21年(1946)に当地に移り、昭和33年まで居を構えました。
その後、数多くの名作を残し、空襲により甚大な被害を被った江東区の様子を「焦土諷詠」として多くの俳句に詠み、昭和44年に56歳で亡くなりました。お墓は、調布市の深大寺にあります。
13. 砂町銀座商店街(すなまちぎんざしょうてんがい)
全国に名を知られる有名商店街。生鮮食品のほか、おでん種などのお惣菜や呉服・日用品にいたるまでさまざまなお店が軒を連ねています。眺めて回るだけでも十分に東京の下町情緒を満喫できます。毎月10日の「バカ値市」は大幅割引があり、必見です。
14. 持宝院(じほういん)
寛永3年(1626)に尭存法印が創始したとされ、『真言宗智山派持宝院』では、『砂町誌』と同じく元亀天正以前に開創されたとなっている。持宝院境内には弘法大師の標柱が三本残されており、厄除け弘法大師として信仰を集めていたことが分かります。
15. 石田波郷記念館(いしだはきょうきねんかん)
俳人石田波郷は、昭和21年(1946)から約12年間江東区の北砂に住み、当時の江東区の様子を「焦土諷詠」として多くの俳句に詠みました。また、波郷は戦後の俳壇を先導し、わが国の俳句文学に大きな功績を残しています。
その功績と人間像を、江東区との関わりを紹介し顕彰するため、波郷自身が「第二の故郷」と呼んだこの地に記念館を開設しました。
16. 因速寺(いんそくじ)
四ツ車大八は秋田生まれの力士で、前頭三枚目どまりでしたが、芝居や講談で有名な「め組の喧嘩」の力士として知られています。
文化6年(1809)4月に38歳で死去し、当時深川福住町にあった因速寺に葬られました。
その後、因速寺は昭和2年(1927)に現在の地へ移転しました。また、境内には砂村促成栽培をはじめた松本久四郎の墓(史跡)もあります。
17. 上妙寺(じょうみょうじ)
創建は寛永2年(1625)4月で、開基は大和平方村(奈良県)の荻勘七郎です。元和年間、勘七郎は二人の弟ともにこの地を訪れ、この土地を開拓し、地名を荻新田と称しました。大津波により、海中から出現した鬼子母尊神の霊像をお祀りしています。
18. 荒川ロックゲート(あらかわろっくげーと)
荒川ロックゲートは、水位差最大約3mの荒川と旧中川を船が通行できるようにするための施設。
「川のエレベーター」として活躍しています。所要時間は約20分。そのスピードは思いのほか速く、あっという間です。
19. 江東区東砂スポーツセンター(こうとうくひがしすなすぽーつせんたー)
江東区が運営する総合屋内スポーツ施設です。地域のお子さんから高齢の方まで、様々な年齢層の方が楽しくスポーツに取り組める事業を多数開催しています。緑豊かな立地の中、大体育室、トレーニング室、屋内プール等があり、目的に応じて多くの方に利用されています。
20. アリオ北砂(ありおきたすな)
総合スーパー「イトーヨーカドー北砂店」を中心に、ファッション、コスメ・雑貨、アミューズメント、キッズ、スポーツクラブなど、さまざまな世代の方にお楽しみいただける、100以上の専門店で構成された大型商業施設です。
私たちの「日常」をサポートしてくれる、特徴的かつ専門的な店舗が充実しています。
21. 大島中の橋商店街(おおじまなかのはししょうてんがい)
大島駅の東側、新大橋通りから北に延びる商店街。
300mの通り沿いに約100店舗が軒を連ね、青果・鮮魚・惣菜などの店舗がひしめきあい、まさに「下町の台所」といった趣があります。
15時から20時までは歩行者天国となり、買い物客でにぎわいます。毎月8日に開催される「びっくり市」も必見です。