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【おすすめまちあるき】深川佐賀町・永代橋コース

#まちめぐり

【おすすめまちあるき】深川佐賀町・永代橋コース

江戸東京の消費を支える物流の拠点であった深川。
なかでも佐賀町は全国の米が集まった場所で、現在もその名残で倉庫業を営む会社が数多く存在します。















■■■■■深川佐賀町・永代橋コース■■■■■

【スタート】1.深川東京モダン館
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      2.伊能忠敬住居跡
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      3.澁澤倉庫発祥の地(渋沢栄一宅跡)
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      4.佐久間象山砲術塾跡
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      5.深川正米市場跡
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      6.赤穂浪士休息の地
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      7.永代橋
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【ゴール】 8.越中島
【距 離】約2.0㎞(所要時間 約120分)
【最寄駅】都営大江戸線・東京メトロ東西線「門前仲町駅」
※コースマップ記載の観光スポットと一部異なります。

https://koto-kanko.jp/img_data/C0004_pdf.pdf?20161222140822 (コースマップ)

観光テーマ・スポット一覧

1. 【スタート】深川東京モダン館(ふかがわとうきょうもだんかん)

深川東京モダン館

昭和7年(1932)に東京市営の食堂として建築された「旧東京市深川食堂」をリノベーションした建物です。震災復興建築物であり、なおかつ公設の食堂として現存している点などから、平成20年(2008)に国登録有形文化財として登録されました。現在は江東区の近現代史や食文化に関連した展示や事業を行っており、区の観光と文化の発信拠点となっています。

2. 伊能忠敬住居跡(いのうただたかじゅうきょあと)

伊能忠敬宅跡 (注:史跡)

日本で初めて科学的測量による日本地図を作成した伊能忠敬は、寛政7年(1795)から文化11年(1814)まで当地に居を構え、ここを測量の原点としました。
測量の際には、富岡八幡宮にお参りをして旅立ちました。
このことにちなみ、平成13年(2001)に富岡八幡宮境内に伊能忠敬像が建立されました。

3. 澁澤倉庫発祥の地 渋沢栄一宅跡(しぶさわえいいちたくあと)

渋沢栄一宅跡 (注:史跡)

日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、明治9年(1876)から明治21年にかけて当地に本邸を構えます。その後、中央区に本邸を移し、深川邸は別邸として利用されました。栄一と江東区との関係は深く、明治22年から明治37年まで深川区会議員および区会議長を務め、また、明治30年には当地に渋沢倉庫部(現:澁澤倉庫株式会社)を設立しました。

4. 佐久間象山砲術塾跡 (注:史跡)(さくましょうざんほうじゅつじゅくあと)

佐久間象山砲術塾跡 (注:史跡)

この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信州松代藩下屋敷があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。嘉永3年(1850)7月から12月までこの地で砲術を教え、のちに江戸木挽町に兵法や砲術を教える私塾を開いています。象山は、吉田松陰や坂本龍馬、勝海舟など、多くの有能な門下生を教授しました。

5. 深川正米市場跡(ふかがわしょうまいしじょうあと)

深川正米市場跡(ふかがわしょうまいしじょうあと)

明治19年(1886)、深川佐賀町(現・佐賀町1丁目)に現物の米を取引する公開の正米市場が開設されました。建物は木造平屋建てでしたが、関東大震災で焼失して昭和2年(1947)に鉄筋3階建てのレンガ造のビルに建て直され、米穀の自由売買が行われました。昭和16年、戦時体制による米の配給統制が開催されると、正米市場は廃止されました。建物は「食糧ビルディング」の名で平成14年まで残されて、アートギャラリーや映画のロケに使用されるなど、モダンな建物として親しまれました。
現在は、食糧ビルディングをイメージしたアーチ型のモニュメントがあります。

6. 赤穂浪士休息の地(あこうろうしきゅうそくのち)

赤穂浪士休息の地

元禄15年(1702)12月14日に本所松坂町の吉良邸に討ち入って本懐を遂げた赤穂浪士の一行が、一ツ目通りを引き上げる途中で乳熊(ちくま)屋味噌店に立ち寄りました。甘酒の接待を受けて休息したのちに、永代橋を渡って高輪泉岳寺へ向かったといわれています。
この由来を記した碑が、昭和38年(1963)に乳熊ビルの入口に建立されました。

7. 永代橋(えいたいばし)

永代橋はかつて赤穂浪士が渡った橋として、また、今日でも深川八幡祭りで神輿が列をなして渡る橋として有名です。
大正15年(1926)に震災復興事業の第1号として架橋された現在の橋は、重量感あふれるシンプルなアーチ型の橋梁です。
平成19年(2007)6月18日に、清洲橋とともに国の重要文化財に指定されました。

8. 【ゴール】越中島(えっちゅうじま)

越中島公園

江戸初期に島状の土地を榊原越中守が幕府から拝領、屋敷を持っていたことから名付けられた地名です。
幕末には幕府の軍事調練場、砲術訓練の場となりました。続いて新政府の陸軍練兵場となり、明治天皇の観閲をたびたび受けました。明治35年(1902)、霊岸島(現・中央区新川)から東京商船学校(現・東京海洋大学)が移転し、今日に至っています。