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【おすすめまちあるき】赤穂浪士が歩いた道をゆくコース

#まちめぐり

【おすすめまちあるき】赤穂浪士が歩いた道をゆくコース

300年以上も語り継がれてきた赤穂事件。討ち入りを果たした後、赤穂浪士が泉岳寺に向かった道をたどりながら、ゆかりの地をご紹介します。













■■■■■赤穂浪士が歩いた道をゆく■■■■■

【スタート】  両国駅
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      1.吉良邸正門跡
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      2.本所松坂町公園(吉良邸跡)
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      3.前原伊助宅跡
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      4.旧両国橋・広小路跡
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      5.一之橋
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      6.旧新大橋跡
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      7.萬年橋
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      8.赤穂浪士休息の地
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      9.永代橋
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      10.深川東京モダン館
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【ゴール】   門前仲町駅
【距 離】約4.1~4.5㎞(所要時間 約130分)
【最寄駅】(スタート)JR総武線・都営大江戸線「両国駅」/(ゴール)都営大江戸線・東京メトロ東西線「門前仲町駅」
※ご紹介している内容には他区の施設も含まれています。          

https://koto-kanko.jp/img_data/C0010_pdf.pdf?20201012113012 (コースマップ)

観光テーマ・スポット一覧

1. 吉良邸正門跡(きらていせいもんあと)

吉良邸正門跡(きらていせいもんあと)

元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士四十七士は吉良邸正門(表門)と西の裏門の二手に分かれ、吉良邸に討ち入りました。

2. 本所松坂町公園(吉良邸跡)(ほんじょまつざかちょうこうえん(きらていあと))

本所松坂町公園(吉良邸跡)(ほんじょまつざかちょうこうえん(きらていあと))

吉良上野介屋敷跡です。松の廊下の刃傷事件後に移った屋敷で、移転して約1年半後に討ち入りが起こりました。かつては2550坪ほどの敷地を有していましたが、現在の公園は当時の86分の1程度の敷地面積になっています。赤穂浪士の討ち入りの「口上書」は必見です。

3. 前原伊助宅跡(まえはらいすけたくあと)

前原伊助宅跡(まえはらいすけたくあと)

赤穂浪士四十七士の1人、前原伊助は「米屋五兵衛」と名乗り、吉良邸裏門近くの家を借りました。ここに数人の浪士たちが住み込み、細かく吉良邸の動きを調べます。討ち入り当日の集合場所の一つでもありました。

4. 旧両国橋・広小路跡(きゅうりょうごくばし・ひろこうじあと)

旧両国橋・広小路跡(きゅうりょうごくばし・ひろこうじあと)

吉良邸討ち入りの後、最初に赤穂浪士が休息をとった場所とされています。旧両国橋は万治2年(1659)12月、明暦の大火を教訓として、防災上の理由から江戸幕府により架けられました。また、橋のたもとには火除け地としての広小路が設けられ、この一帯は見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねてにぎわっていました。

5. 一之橋(いちのはし)

一之橋(いちのはし)

竪川に架かり、隅田川から数えて一つ目の橋という意味で命名されました。討ち入り後、赤穂浪士が最初に渡った橋です。その後、永代橋を経由して泉岳寺へと向かいました。

6. 旧新大橋跡(きゅうしんおおはしあと)

旧新大橋跡(きゅうしんおおはしあと)

元禄6年(1693)、隅田川に両国橋に次いで架けられた橋です。当時は、現在より200mほど下流に架けられていました。当時、「大橋」と呼ばれていた両国橋に対して、「新大橋」と呼ばれました。この近くに住んでいた松尾芭蕉は橋の完成を喜び、句を詠んでいます。

7. 萬年橋(まんねんばし)

萬年橋

萬年橋は、小名木川の隅田川口に架けられており、江戸時代には、富士山がきれいに見える名所として知られ、北斎の「富嶽三十六景」や広重の「名所江戸百景」などに描かれました。現在の橋は昭和5年(1930)に架けられました。平成21年(2009)からはライトアップが開始され、新たなランドマークとして深川の夜を彩っています。

8. 赤穂浪士休息の地(あこうろうしきゅうそくのち)

赤穂浪士休息の地

討ち入りを果たした赤穂浪士一行が永代橋にさしかかった際に休息したとされる場所です。乳熊(ちくま)屋味噌店の初代が赤穂浪士のひとり大高源吾と俳句仲間であったことから、赤穂浪士を招き入れ、甘酒粥をふるまったとされています。

9. 永代橋(えいたいばし)

千住大橋、両国橋、新大橋に次いで隅田川に架けられた橋で、当時は現在より150mほど上流にあったとされています。赤穂浪士はこの橋を渡って、江戸市中に入りました。現在、永代橋は国の重要文化財に指定されています。

10. 深川東京モダン館(ふかがわとうきょうもだんかん)

深川東京モダン館

昭和7年(1932)に東京市営の食堂として建築された「旧東京市深川食堂」をリノベーションした建物です。震災復興建築物であり、なおかつ公設の食堂として現存している点などから、平成20年(2008)に国登録有形文化財として登録されました。現在は江東区の近現代史や食文化に関連した展示や事業を行っており、区の観光と文化の発信拠点となっています。