江東の魅力
【江東 この街あの人】深川東京モダン館 副館長 龍澤 潤さん
江東区の文化と観光の拠点「深川東京モダン館」で、
学芸員としての知識と経験を活かしながら様々な事業を展開。
学芸員としての知識と経験を活かしながら様々な事業を展開。
学芸員から深川東京モダン館の副館長に。
オープンからもうすぐ10年になるそうですね。
2009年10月にオープンして、おかげさまで現在は来館者は毎年2万人以上です。この館は江東区が所有し、運営・管理を深川観光協会が行なっています。事業の一つは観光案内で、江東区文化観光ガイドが常駐して観光情報を案内したり、館周辺の無料ガイドツアーを1日2回行なっています。
他にも地域資源を活かしたイベントの開催や、地域のまちづくり会や深川仲町通り商店街との連携、落語や講談といった大衆芸能の興行なども行なっていますね。不定期ですが2階で喫茶やランチ営業している日もあります。
他にも地域資源を活かしたイベントの開催や、地域のまちづくり会や深川仲町通り商店街との連携、落語や講談といった大衆芸能の興行なども行なっていますね。不定期ですが2階で喫茶やランチ営業している日もあります。
このレトロな建物自体が文化財なんですね。
ここは昭和7年(1932)に建築された東京市深川食堂を改修した建物です。大正時代は諸物価が高騰し、公営食堂が神楽坂や上野などにも開業しました。深川食堂もその一つで昭和12年(1937)まで営業していました。その後は深川栄養食配給所と名前を変え、安く食事を提供する場として存続しました。
第二次世界大戦後は東京都立内職補導所や江東区の福祉作業所として利用され、2008年には震災復興建築物として希少なことから、国登録有形文化財建造物に登録されています。
第二次世界大戦後は東京都立内職補導所や江東区の福祉作業所として利用され、2008年には震災復興建築物として希少なことから、国登録有形文化財建造物に登録されています。
龍澤さんは江東区との関わりは長いのですか?
僕はもともと学芸員で、主に茨城県や栃木県など各地で古文書の調査協力員や調査員をやっていたんです。江戸時代の終わりから明治時代にかけて、地域がどんなふうに変わったかというのが専門で、いつかは業績をまとめたいとも考えています。
江東区と関わるようになったのは、江東区大島に2003年オープンした中川船番所資料館の非常勤職員になったのがきっかけです。僕は西東京市の生まれなので、江東区へは学生時代に深川江戸資料館や芭蕉記念館に遊びに来たくらいで、それまでまったく縁はありませんでした。
中川船番所資料館の周辺は旧中川が流れ、公園に囲まれているんです。だから初めて訪れた時は、非常に自然の多い所だなと思いましたね。江東区に来て土の匂いを嗅ぐことになるとは思わなかったですね(笑)。
江東区と関わるようになったのは、江東区大島に2003年オープンした中川船番所資料館の非常勤職員になったのがきっかけです。僕は西東京市の生まれなので、江東区へは学生時代に深川江戸資料館や芭蕉記念館に遊びに来たくらいで、それまでまったく縁はありませんでした。
中川船番所資料館の周辺は旧中川が流れ、公園に囲まれているんです。だから初めて訪れた時は、非常に自然の多い所だなと思いましたね。江東区に来て土の匂いを嗅ぐことになるとは思わなかったですね(笑)。
観光だけでなく、利用者によって様々な顔を持つ施設。
なぜ学芸員から観光拠点のモダン館に来ることになったのですか?
中川船番所資料館に3年勤めた後、江東区の文化財専門員をしていました。文化財係はもともと教育委員会に属していましたが、組織が変わり文化観光課の中に文化財係が置かれるようになったんです。
文化財係には文化財保護推進協力員という人たちがいて、文化財の定点観測や現況確認などを行なっています。ただ任期が10年なので、任期を終えた人たちの受け皿を作ろうということになり、文化財ガイド事業を立ち上げたんです。僕はそのガイドさんたちの事務局的な仕事や養成講座などを行なっていました。
今、この館にいる文化観光ガイドの中には文化財ガイドをしていた人も多く、長い付き合いの人もいます。そんな縁もあってここに来たというわけです。
文化財係には文化財保護推進協力員という人たちがいて、文化財の定点観測や現況確認などを行なっています。ただ任期が10年なので、任期を終えた人たちの受け皿を作ろうということになり、文化財ガイド事業を立ち上げたんです。僕はそのガイドさんたちの事務局的な仕事や養成講座などを行なっていました。
今、この館にいる文化観光ガイドの中には文化財ガイドをしていた人も多く、長い付き合いの人もいます。そんな縁もあってここに来たというわけです。
文化財も観光資源の一つということですね。
特に力を入れていることは何ですか?
実はモダン館って何の施設だが、僕自身いまだに分からないんです(笑)。例えば、博物館には博物館の使命があり、それに紐付けて結びつくような事業展開をすると思うのですが、ここは必ずしもそうではない。
観光案内所は一つの機能だけれど、ここは貸し館事業も行なっているんです。今は月に一度は着物のイベントで使ってもらっていますが、これは自分が仕掛けたのではなく、たまたま借り手がレトロなこの空間を気に入って開催しているものですよね。
また、うちの主催で講談や落語会を行なっていますが、貸し館でも落語会が開催されていて、多い時は毎週のようにやっている月もあるんです。すると「モダン館って落語をやっているところですよね」と言われてしまったり。
観光案内所は一つの機能だけれど、ここは貸し館事業も行なっているんです。今は月に一度は着物のイベントで使ってもらっていますが、これは自分が仕掛けたのではなく、たまたま借り手がレトロなこの空間を気に入って開催しているものですよね。
また、うちの主催で講談や落語会を行なっていますが、貸し館でも落語会が開催されていて、多い時は毎週のようにやっている月もあるんです。すると「モダン館って落語をやっているところですよね」と言われてしまったり。
利用者によって様々に変化する施設ということでしょうか。
そうですね。だから個別に話がくる中で、この館に馴染むようにアレンジして事業を行なっています。でも、建物を周知してもらう努力は、変わらず継続的に行っています。深川木場が舞台となったNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』の時は、関連展示を行なったことで過去最高の来館者で賑わいましたが、これは小さい宝くじに当たったようなものです。大事なのは再訪してくれた時に、また面白かったと思ってもらえること。そのために、たゆみなく何かしら話題にされることをやっていきたいですね。
そのために今後、何か考えていることはありますか?
地域交流イベントです。深川は江戸時代には大名屋敷があり、物も人も動いていたところで、全国各地から人が来ていました。だから、つながりのあった地域と交流し、人の行き来ができることを考えています。単なる物産イベントではなく、その地域の観光協会や自治体と連携した、地域とのつながりや特色を活かした交流です。今年1月にはその第一弾として仙台市秋保温泉との交流イベントを開催しました。元禄時代、深川には仙台藩の蔵屋敷があり、仙台堀川の名前の由来にもなっています。交流することによって、相手方にもこの館の存在を知ってもらえるというメリットもあります。
龍澤さんが考える江東区の魅力を教えてください。
このまちは震災や戦災で景観は変わっていますが、僕が初めて江東区に来て驚いたのは「人」なんです。江戸時代で時間が止まっているような、前近代的な感じがしましたね。ある人から「江東区のまちにはそれぞれ天皇と呼ばれる人がいて、その人がへそを曲げると小学校のイベントが何も出来なくなる」と教わったことがあります。だけど、逆に深川情緒とか時代小説に取り上げられている雰囲気って、きっとこれが受け継がれている唯一のものではないかと思うんです。地元の人たちもこの雰囲気を誇りとしています。人と人が織り成すこの情緒は、たぶんこのまちならではないかと思いますよ。
(取材日:2018年1月12日)
(取材日:2018年1月12日)
江東 この街あの人
深川東京モダン館 副館長 龍澤 潤さん
1972年生まれ。東洋大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程満期通学。各地の自治体史編纂に関わった後、2003年より江東区中川船番所資料館勤務。江東区文化財専門員を経て2011年から深川東京モダン館副館長に就任。東洋大学非常勤講師、東洋大学人間科学総合研究所客員研究員を勤める他、深川門前仲町景観まちづくりの会事務局長。
深川東京モダン館
東京都江東区門前仲町1-19-15
TEL:03-5639-1776
深川東京モダン館のウェブサイト http://www.fukagawatokyo.com/
深川東京モダン館
東京都江東区門前仲町1-19-15
TEL:03-5639-1776
深川東京モダン館のウェブサイト http://www.fukagawatokyo.com/
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