【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん

「街をつくるのは人」をモットーに創刊40年以上
深川の街の歴史や文化を伝え続けるタウン誌

趣味的な気持ちでタウン誌を創刊

タウン誌「深川」を創刊したきっかけを教えてください。

 息子が通っていた双葉幼稚園のママ友だった鈴木悦子さんと2人で昭和53年に創刊しました。下町にはタウン誌がないからやってみたらと勧めてくれたのが深川生まれの夫なんです。自分たちの住んでいる街の歴史や文化を知りたいと悦子さんと意気投合しちゃって、もともとは趣味的な軽い気持ちでした。
 当時の深川はエプロン姿のお母さんが商店街でお買い物する、というどこにでもある風景で、観光客やビジネスマンもいない町でした。ちょうどマンションが建ち始めた頃です。楽しみといえば月に3回(1・15・28日)の富岡八幡宮と深川不動堂の縁日で、今とは比べ物にならないほど賑やかだったんですよ。

タイトルを『深川』にした理由は?

 タイトルを江東区ではなく『深川』にしたのは、あの頃は江東区を知らない人が意外に多かったんですね。「えとうく?」なんて言われたこともあったので、時代小説の舞台などでも知られている『深川』にすれば全国的にPRできると思ったんです(笑)。
 創刊した昭和53年頃は地域情報といえば『江東区報』くらいしかなく、住民にとって便利な情報が不足していました。そこで、創刊当初は区内の幼稚園情報やお医者さんリストなど、暮らしに便利な情報が中心で、保存性の高い雑誌にしようというのが最初のコンセプトでした。

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 昭和53年に創刊したタウン誌「深川」。現在発行中の253号まで深川の人や歴史・文化まで幅広い内容。
昭和53年に創刊したタウン誌「深川」。現在発行中の253号まで深川の人や歴史・文化まで幅広い内容。

創刊するためママ友二人で奔走!

女性お二人だとご苦労も多かったのでは?

 私も悦子さんも雑誌作りにずぶの素人で、3か月間は幼稚園に子どもをあずけた後、毎日のように協賛してくれる会員を探し歩きました。タウン誌という言葉すらも理解してもらえませんでした。それに女性が一線で働く時代ではなかったんですね。
 でも応援してくれる人との出会いもありました。深川仲町通り商店街の「遠山薬局」の相羽史郎さんや深川平安閣(現アンフェリシオン)さんなど「街にとって良いことだから、ぜひおやりなさい」と背中を押してくれる人もいました。ようやく協賛会員が30軒ほど集まり創刊。ところが区の広報課が各マスコミに「下町にはじめて本格的タウン誌が誕生」という記事を流して下さって、大反響となったのも事実です。
 なんとか創刊にこぎつけたものの、悦子さんは子どもの留学のためすぐに海外へ行ってしまって。しばらく編集部は夫の会社に居候でした。創刊から10年ほど経った平成元年、デザインと編集を手掛ける会社クリオ・プロジェクトとして独立しました。

創刊当時と今とでは街の雰囲気もずいぶん違いますか?

 創刊した昭和53年は、ちょうど木場が新木場に移転した頃でした。まだ木場の川並(木場内の筏師)や辰巳芸者が活躍していたし、門前仲町には三業組合(芸者、置屋、料亭)もありました。裏通りの料亭街の夜になると高級車がずらっと並んでましたね。
 木場の川並さんたちは小唄やお座敷遊びも上手で、皆さんぽち袋を持っていて「今日はおいしかったよ」って、さっとぽち袋を粋に渡すんです。「深川はご祝儀の世界なんだ!」と思いましたね。
木場の跡地は都立木場公園に生まれかわりましたが、公園建設が始まるまでコスモスの花畑が一面に広がっていたのが印象的でした。同じ頃、永代や福住にあった米問屋や肥料問屋もどんどん減っていき、オフィスビルに様変わりしましたね。
 今は門前仲町の料亭街には居酒屋が軒を連ね、辰巳芸者衆も街から姿を消しました。小唄にも登場するような「粋で人情に篤い」「気風がいい」そんな世界は今は昔ですが、今でも時々、そんな深川っ子と出会うと感激します。笑っちゃいますよね。

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 木場橋の下には雪をかぶった筏が浮かんでいる。現在、運河は埋め立てられ木場親水公園に生まれ変わっている。(写真提供:タウン誌深川)
木場橋の下には雪をかぶった筏が浮かんでいる。現在、運河は埋め立てられ木場親水公園に生まれ変わっている。(写真提供:タウン誌深川)

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 辰巳芸者衆が華やかだった頃の門前仲町の料亭。今は居酒屋が軒を連ねている。(写真提供:タウン誌深川)
辰巳芸者衆が華やかだった頃の門前仲町の料亭。今は居酒屋が軒を連ねている。(写真提供:タウン誌深川)

タウン誌の使命は「街をつくるのは人、人は街」

深川八幡祭りの別冊号も発行していますね。

 深川八幡祭りを初めて見た時はとても感動しました。50基以上の神輿が渡御するわけですから、初めて見る人のためにガイドブックがあれば、との思いから別冊号として発売しました。当時はまだ浅草や神田にも祭りのガイドブックなんてなかったんですね。
 「神輿深川」と言われていたし、私自身も神輿に興味を持っていたんです。作り方から名称を千葉県の行徳にある浅子神輿店まで行って調べたり、他の神社の神輿もよく見に行きました。
令和2年は3年に一度の本祭りで、8月16日の各町神輿連合渡御には53基の町内神輿が繰り出す予定です。消防団による放水や大型トラックの荷台からの水かけは深川八幡祭りの名物です。オリンピックとパラリンピックのちょうど間の時期なので、世界中の人たちに見物していただきたいですね。
 ガイドブックももちろん制作します。今回は祭り好きな地元の若い人たちが企画会議に参加したいと名乗りを上げてくれているので、お祭りの賑やかしとして楽しい観光ガイドブックを制作したいと思っています。

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 江戸三大祭りの一つに数えられている深川八幡祭り神輿連合渡御。53基の各町神輿が約8キロを揃って渡御、別名「水かけ祭り」とも。(写真提供:タウン誌深川)
江戸三大祭りの一つに数えられている深川八幡祭り神輿連合渡御。53基の各町神輿が約8キロを揃って渡御、別名「水かけ祭り」とも。(写真提供:タウン誌深川)

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 3年に一度の深川八幡祭りにあわせて発行している別冊号と手ぬぐい。
3年に一度の深川八幡祭りにあわせて発行している別冊号と手ぬぐい。

今後の抱負や夢を教えてください。

 創刊して40年経ちましたが、続けられたのはまわりの人たちのおかげ、自分だけでできることではないですから。街はやっぱり「人」なんですよね。本誌でも「まち人めぐり」や「まちは人となり」など、人を通して街を紹介する連載が多いですが「街をつくるのは人、人は街」という考えがあるからなんです。そのきっかけとなったのは木場の川並だった小安四郎さん(故人)の言葉で「ぼくたちが生きた証を文章にして残してくれるのはとてもありがたいことだから頑張ってほしい」と、よく言われたんです。タウン誌の使命はこれだと思いましたね。
 これからも人を通して街の移りかわりを追い続けたいし、40年の積み重ねを一冊の本にしたいです。貴重な郷土資料になると思うんです。今は娘と息子が跡を継いでくれていますが、私もこの街で出会った人たちに感謝して、元気なうちは恩返しをしたい、と思っています。
(2019年12月20日取材)

【江東 この街あの人】タウン誌「深川」発行人 鈴木 きっこさん 70歳を超えた今も現役の鈴木きっこさん。
70歳を超えた今も現役の鈴木きっこさん。

タウン誌『深川』発行人 鈴木 きっこさん
1944年茨城県出身。百貨店や銀行に勤務後、結婚を機に江東区在住。
1978年にタウン誌『深川』創刊。
1992年「第8回NTT全国タウン誌フェスティバル」NTTタウン誌大賞受賞。発行は偶数月25日、協賛会員店で配布のほか区内一部書店で販売。定価300円(税別)。

タウン誌『深川』
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