【江東 この街あの人】江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん

70年以上の歴史を歩む材木屋さん
木場の今昔とこれから

フローリングと家具製造からスタート

市川さんの会社はもともと木場にあったのですか?

 当社は昭和21年、父の市川惣三郎が葛飾区柴又、帝釈天のすぐ近くに江戸川木工場を創業しました。もともとはフローリングや学校関連の家具などを製造していまして、それが発祥です。その翌年、平野4丁目に移転して本社を構え、今は息子が三代目です。
 平野町一帯はいわゆる木場と呼ばれる地域で、材木屋が新木場に移転するまでは木材の一大集積地でした。掘割が四方八方に張り巡らされ、掘割は原木(丸太)を扱う材木屋の工場までつながっていて、以前は木場の川並(筏師)が丸太を筏に組んで材木を運搬する風景なども見られました。
 ただ、昭和34年に伊勢湾台風があった時、名古屋で貯木場があふれ原木が流れ出し、民家に被害を与えてしまったことがありましてね。深川も台風だけでなく頻繁に水が出る地域でしたから、これはまずいと昭和40年代に新たに新木場が整備され、材木屋はすべて移転することになったのです。当社も昭和51年に現在の新木場に移転しました。

【江東 この街あの人】江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん 新木場駅のすぐそばにある江戸川木材工業本社ビル。
新木場駅のすぐそばにある江戸川木材工業本社ビル。

江戸川木材工業ではどんな木材を扱っているのでしょうか?

 当社はフローリングの他、壁や天井、外壁といった住宅用建材を中心に、木造建築における制震工法など、木材の輸入・仕入れから加工、施工までトータルに手掛けています。
 昭和30年代は外材が主力で、とくにフィリピンやインドネシアなどの南洋材を原木のまま輸入し、江東区有明にあった工場で南洋材専門の製材を行なっていました。しかし、東京都が工場の目の前にある貯木場を埋め立てることになり、製材が出来なくなってしまうことから立ち退き、昭和42年に福島県いわき市の小名浜港に工場を移転させました。
 その後、南洋材は熱帯雨林の問題で原木輸出が禁止されたため、米材を輸入製材しプレカットを行なっています。プレカットとは、家の基本的な部分を工場生産して現場に持っていき組み立てる、完成品に近い製品のことです。現在、小名浜にフローリング工場とプレカット用の再割工場の2工場があります。

【江東 この街あの人】江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん 本社1階に展示されている、住まいを守る「Hiダイナミック制震工法」。
本社1階に展示されている、住まいを守る「Hiダイナミック制震工法」。

材木の街・新木場も様変わり

現在、新木場に材木屋さんは何軒ほどあるのでしょうか?

 新木場駅を降りても、木の香りがしなかったのではないでしょうか。新木場に移転した頃は600~700軒あり、駅を降りると材木屋の街だとすぐに分かるほど木の香りがしたものです。現在の新木場はむしろ材木屋の勢いよりも異業種が多く、それによって昼間の人口は大変増えています。ここは臨港地区で人が住めないため、他の街のようにマンションなどは建ちませんが、24時間昼夜利用できるということで運送業や倉庫などで活気を帯びていますね。
 ですが、材木屋は倒産したわけではないのです。材木を保管するために大きな場所が必要だったので、そういった土地を活かして、例えば駐車場や貸しスタジオ、最近では駅前にホテルもオープンしました。また、倉庫を活かしたライブハウスやサバイバルゲームフィールドなども出来たため、若い人の姿も増えていますね。そんなわけで材木屋の多くは土地の有効利用をする商売に替わり、木材を実際に扱っている会社は10分の1ほどです。

材木屋さんが減ってしまった理由はなんでしょうか?

 材木屋が栄えたのは戦後復興期を迎えて、昭和40年代までは品物さえあれば売れる時代でした。とくに戦後は資材があれば売れたのです。戦後20~30年も経つと家の建て替え時期にもあたり、そういう意味では多くの材木屋には勢いがありました。
 住宅は本来であればまちの工務店や大工が建てるべきなのでしょうが、そういった人たちが大手住宅メーカーにとって替わられてしまったのです。一般の方も頼むなら大手の方が安心ですからね。本来はまちの工務店や大工の方が便利なのですけどね。
 木場はこういう工務店や大工が商売相手だったわけです。大手住宅メーカーは我々のような問屋は通しません。資材も海外や現地の工場から直接仕入れたほうが安いですからね。昭和50年代の終わり頃から平成に入ると、次第に廃業する材木屋が増えていきました。

ますます注目される木材のこれから

オリンピックスタジアムなど国産木材を使った建物が注目されていますね。

 一時、外材が日本の消費量の約80%を占めていましたが、現在の国産比率は36%ほどに戻ってきています。国産木材の奨励といいますか補助金が出ているんですね。日本の森林面積は国土面積の約3分の2もあり世界でも有数の森林国ですが、実際に使用するためには外材よりもかなりコストがかかります。
 木材の生産を効率的に行なっていくためには、運搬に必要な林道の整備が必要ですが、現在は計画伐採できず林道も作れない状態です。つまり補助金がないとやっていけないわけです。昔は山を持っていたらお大臣といわれたものですが、今は山を持っていても利益につながらない時代になってしまいましたね。

江東区でも一昨年に木材を多用した有明西学園が建設され、2019年度グッドデザイン賞も受賞しました。

 建設したのは竹中工務店ですが、実はフローリングは当社が工事まで行ないました。この他にも第二国立劇場や渋谷オーチャードホール、サントリーホール、オペラシティ、東京都現代美術館などのフローリングも手掛けています。すべて下請けというかたちのため表には出ませんが、こういう仕事もしているわけです。
 オリンピックスタジアムや有明西学園のように、これから木材はますます注目されていくでしょうが、新木場の材木業界はそういうわけにはいきません。何かに特化しなければ、生き残るのはむずかしいでしょう。

これからの木材について、どうのように考えていらっしゃいますか?

 木材は今の時流であり、絶対に欠かせない資源です。地球温暖化の問題もありますから、これからもますます木材を使って、木を植え育て伐採するという循環をしていかなければなりません。環境の問題を抜きにしては語れないということです。
 日本の場合まだまだですが、資源としては鉄ではなく木材です。例えばコンクリートは、作り上げるまでに多くのエネルギーを使うため、それが地球温暖化に悪影響を及ぼしているといわれています。
 日本は木の文化ですから、そういった意味では木材には輝くような未来があると考えています。
(2020年3月4日取材)

【江東 この街あの人】江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん 「東京木材市場」の社長も務める市川さん。
「東京木材市場」の社長も務める市川さん。

【江東 この街あの人】江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん 新木場2丁目にある「東京木材市場」は令和元年(2019)に創業100周年を迎えた。
新木場2丁目にある「東京木材市場」は令和元年(2019)に創業100周年を迎えた。

江戸川木材工業株式会社 会長 市川 英治さん
1943年江東区出身。
江戸川木材工業株式会社会長、東京木材市場株式会社取締役社長、商工会議所江東支部副会長、一般社団法人江東区観光協会監事。

江戸川木材工業株式会社
東京都江東区新木場1-3-16
TEL.03-3521-8234
http://www.edogawamokuzai.co.jp/