モデルコース
深川エリア 清澄白河駅周辺
都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」付近のエリア。江戸時代の深川のまちなみを再現した深川江戸資料館は、深川寺町の面影を感じることのできる周辺散策とセットで楽しむのがおすすめです。都名勝第一号に指定された庭園『清澄庭園』に隣接する旧東京市店舗向住宅などの昭和初期に建築された建造物群と、東京都現代美術館に通じる深川資料館通り沿いを中心に点在するギャラリーをめぐる、新旧文化の混在を楽しむ散策もおすすめです。
観光テーマ・スポット一覧
1. 清洲橋(きよすばし)
清洲橋の名は、深川区清住町と日本橋中洲町を結ぶことから付けられました。関東大震災後の復興事業で、ドイツのケルン市にあった大吊橋をモデルとして昭和3年(1928)に完成したもので、女性的な曲線で優雅なシルエットが印象的です。平成19年(2007)6月18日に、永代橋とともに国の重要文化財に指定されました。
2. セメント工業発祥の地 (注:史跡)(せめんとこうぎょうはっしょうのち)
浅野総一郎はコークスやコールタールの廃物に着目し、廃物をセメント製造の燃料として用いる方法を開発。コークスをセメント工場に納めて大きな利益を得ました。現在、建物の正面には浅野総一郎の銅像が立っています。
3. 平賀源内電気実験の地 (注:史跡)(ひらがげんないでんきじっけんのち)
享保13年(1728)に讃岐志度浦で生まれた平賀源内は、諸学に通じ文才に優れ、数々の発明をしました。安永5年(1776)に日本で初めてエレキテル(摩擦起電機)の復元修理に成功し、しばしば深川清住町(清澄1)の自宅で実験を行い人々に見せました。この由来を刻んだ碑がこの地にあります。
4. 深川稲荷神社(ふかがわいなりじんじゃ)
深川七福神のうちの一つ、清廉度量のご利益があるとされる布袋尊がまつられています。深川稲荷神社は寛永7年(1630)の創建で、深川エリアでは古い神社です。この付近の旧町名である「西大工町」にちなんで西大稲荷とも呼ばれます。神社の裏を流れる小名木川は、江戸時代初期から船の往来が激しく、この付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていたので、この町名が生まれたといわれています。この神社は無住社で、町会によって管理運営されています。
5. 清澄庭園(きよすみていえん)
下町の名園、都立清澄庭園が、昭和54年(1979)3月に指定された都の名勝第1号であることはあまり知られていません。清澄庭園は、広大な池を囲んで、大小島々の配置の景観が美しく、都内随一といわれる名石奇岩に恵まれた、四季を通じて眺望の良い庭園です。とくに新緑の頃と雪景色は素晴らしいものです。
6. 深川図書館(ふかがわとしょかん)
深川図書館は明治42年(1909)9月10日、今の深川公園内に東京市立図書館として設立されました。その後、昭和3年(1928)に現在地に移転し、昭和25年に江東区に移管され、以降は区立図書館として機能しています。現在の建物は平成5年(1993)に建て替えられたものですが、平成21年に100周年を迎えた歴史ある図書館です。
7. 旧東京市営店舗向住宅(きゅうとうきょうしえいてんぽむけじゅうたく)
関東大震災後の復興事業の一環として、東京市が昭和3年(1928)に建設した店舗付住宅です。清澄通りに沿って約250mにわたって立ち並ぶ鉄筋コンクリート造の長屋で、建設から90年以上が経過した今もなお実際に店舗付住宅として使用されており、人気のあるカフェやギャラリーなども入居しています。
8. 臨川寺(りんせんじ)
承応2年(1653)鹿島根本寺(茨城県)の冷山和尚が小名木川の辺りに草庵を結んだことに始まり、その後瑞甕山臨川寺となりました。この地に移り住んだ芭蕉が仏頂禅師と親交を深め、たびたび参禅に訪れたといわれるため、芭蕉ゆかりの寺として有名です。堂内には芭蕉の木像が、また境内には芭蕉ゆかりの「墨直しの碑」や「由緒塚の碑」などがあります。
9. 芭蕉墨直しの碑(ばしょうすみなおしのひ)
松尾芭蕉が度々参禅に通ったと伝えられている臨川寺に建つ墨直しの碑は、芭蕉門下の各務支考が、京都の双林寺に建てた師である芭蕉のことを記した鏡塔の墨跡を、江戸小石川の神谷玄武坊が写して当地に建てたもので、現在の碑は戦後に再建されたものです。
10. 度会園女墓(わたらいそのめはか)
寛文4年(1664)に伊勢山田で生まれた園女は、医師・斯波(度会)一有の妻で夫とともに大阪に住み、俳諧を好み芭蕉の門人となりました。夫の死後、宝永2年(1705)に宝井其角を頼って江戸に出て、富岡八幡宮前で眼科医を営みました。桜を愛好した園女は、正徳の頃富岡八幡宮に36本の桜(すべて焼失)を植え奉納しました。享保11年(1726)に死去し、雄松院に葬られています。
11. 深川江戸資料館(ふかがわえどしりょうかん)
地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に、江戸時代(天保年間を想定)の町並みや庶民の生活ぶりを再現しています。長屋2棟をはじめ八百屋、つき米屋、火の見櫓、猪牙舟が浮かぶ掘割、家の中の生活用品類一つ一つにまで細かく気を配っています。さらに深川の1日の暮らしの様子を15分程度に集約し、音響と照明効果で演出しています。
12. 霊巖寺(れいがんじ)
霊巖寺は、徳川家康・秀忠・家光の信頼のあった雄誉霊巖が寛永元年(1624)、霊岸島(中央区)に創建し、明暦の大火による焼失後、万治元年(1658)に海浜の低湿地が住職珂山とその弟子により埋立てられ、現在の地に移転しました。境内には、国指定史跡「松平定信墓」や都指定有形文化財江戸六地蔵の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」があります。
13. 横綱・阿武松緑之助墓(よこづな・おうのまつみどりのすけはか)
阿武松緑之助は、能登国七海村(石川県)の農家の生まれで、文化12年(1815)、25歳で武隈に弟子入りしましたが、一度は国に帰された後、錣山の弟子になりました。それ以降年々成績をあげ、文政10年(1827)、38歳で横綱となりました。歴代横綱の中では、大器晩成型の努力家の力士でした。嘉永4年(1851)12月に61歳で死去し、玉泉院に葬られました。
14. 出世不動尊(長専院不動寺)(しゅっせふどうそん(ちょうせんいんふどうじ))
近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に本尊の不動尊像が現れ「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお告げがありました。霊巖寺の工事の中、お堂を建てて安置したところ、工事も順調に進み、後に不動寺に安置され上人から『出世不動』と命名されました。関東大震災後、長専院と合併し、以来「深川の出世不動」として広く信仰を集め親しまれています。
15. 紀伊国屋文左衛門墓(きのくにやぶんざえもんはか)
紀州出身の紀伊国屋文左衛門(紀文)は、若くして江戸に出て材木業を営み、幕府と関わることで豪商となりました。
後年は、富岡八幡宮一の鳥居付近(門前仲町1)に住み、享保19年(1734)4月に66歳で没したといわれ、成等院に葬られました。墓は左隅にあり、正面の碑は、昭和33年(1958)に建てられました。
東日本大震災による影響で、現在墓域に立ち入ることはできません。
16. 龍光院(りゅうこういん)
深川七福神のうちの一つ、勇気授福のご利益があるとされる毘沙門天がまつられています。当初馬喰町(中央区)に創建されましたが数回の火事にあい、天和2年(1682)現在地に移転してきました。その時、鬼門除けとして境内東北角に毘沙門天を安置したと伝えられています。お正月は深川七福神をめぐる多くの参詣者で賑わっています。
17. 石造宝篋印塔(阿茶局墓塔)(せきぞうほうきょういんとう(あちゃのつぼねぼとう))
阿茶局は今川家家臣の神尾忠重の妻でしたが、永禄3年(1560)に今川義元に供して忠重が討ち死にした後、天正10年(1582)に徳川家康により母子ともに召され、阿茶局と称して近仕しました。雲光院は慶長16年(1611)に阿茶局自らの発願により開創されました。
18. 東京都現代美術館(とうきょうとげんだいびじゅつかん)
現代美術の振興を目的として平成7年(1995)3月に開館。国内外の約5,700点の収蔵作品を活かした現代美術の流れを展望できるコレクション展示や大規模な国際展をはじめとする特色ある企画展示などを開催しています。
19. 江戸六地蔵(霊巌寺)(えどろくじぞう(れいがんじ))
江戸の六地蔵は、江戸深川に居住していた地蔵坊正元が、京都の六地蔵をならい、江戸をつなぐ街道筋6か所に建立しました。
正元は24歳のときに重病にかかりますが、父母とともに地蔵菩薩に願をかけて回復したことを受け、地蔵菩薩の建立を決意したといわれています。霊巖寺の地蔵は第5番の地蔵です。
20. 曲亭馬琴(滝沢馬琴)誕生の地 (注:史跡)(きょくていばきん(たきざわばきん)たんじょうのち)
『南総里見八犬伝』で有名な馬琴は、明和4年(1767年 )6月9日、深川浄心寺門前の松平信成邸内(平野1付近)で生まれました。成人したのちは山東京伝に師事し、『椿説弓張月』をはじめ1,400余の著書を残しました。嘉永元年(1848)11月に82歳で死去し、文京区茗荷谷の深光寺に葬られています。
21. 圓珠院(えんじゅいん)
深川七福神のうちの一つ、有福蓄財のご利益があるとされる大黒天が祀られています。
旗本永井讃岐守直允の妻が圓珠院の開基です。創建年代は不明ですが、大黒天は創建の頃から祀られていたと伝えられ、江戸時代から深川の大黒様として親しまれてきました。また、境内には大黒天の石像も安置されています。
22. 浄心寺(じょうしんじ)
日蓮宗の寺院である浄心寺は、4代将軍徳川家綱の乳母で、茶道・造園などで有名な小堀遠州の妻であった三沢局の菩提を弔うため、万治元年( 1658)に創建されました。十万石の格式をもつ大寺院であり、身延山からのご開帳が度々行われるなど、江戸十大祖師の随一といわれた名刹です。
23. 間宮林蔵墓(まみやりんぞうはか)
間宮林蔵は、伊能忠敬から測量術を学びました。文化5年(1808)から翌年にかけ、樺太(サハリン)全土を探検し、樺太が離島であることを明らかにしました。後にこの海峡は、間宮海峡(タタール海峡)と名付けられました。晩年は、深川蛤町に住み、天保15年(1844)2月に65歳(70歳という説もある)で没し、本立院に葬られました。
24. 江東区深川北スポーツセンター(こうとうくふかがわきたすぽーつせんたー)
江東区が運営する総合屋内スポーツ施設です。子どもからシニアまで誰もが利用できるようバリアフリーを基本に整備された施設です。また、各種の健康体操教室・スポーツ教室を開催するなど、地域スポーツの拠点として多くの方に利用されています。
25. 三野村ビル(みのむらびる)
幕末から明治にかけ、豪商・三井家の窮地を救い、のちに「三井の大番頭」と称された、三野村利左衛門が設立した合名会社(現在は株式会社)の社屋として、昭和初期に建築されました。入口に施されたテラコッタなどの装飾が優美で、印象に残る建物です。ドラマや映画の撮影でもたびたび使用されています。
26. 高田川部屋(たかだがわべや)
昭和49年(1974)3月場所に現役を引退して年寄・高田川を襲名した8代高田川(元大関・前の山)が、同年4月に内弟子8名を連れて自身が所属する高砂部屋から分家独立して高田川部屋を創設しました。現在は元関脇・安芸乃島(現在の高田川親方)が率いています。
27. 錣山部屋(しころやまべや)
平成14年(2002)9月場所限りで現役を引退、以降は井筒部屋の部屋付き親方となっていた年寄・20代錣山(元関脇・寺尾)が、平成16年1月、2人の内弟子を連れて井筒部屋から分家独立し、錣山部屋を創設。
現在は、立田川親方(元小結・豊真将)が年寄「錣山」の名を襲名し、部屋を継承しています。
28. 大嶽部屋(おおたけべや)
昭和46年(1971)5月場所限りで引退した二所ノ関部屋の元横綱・大鵬が一代年寄・大鵬を襲名し、数名の内弟子を連れて二所ノ関部屋から分家独立。大鵬部屋(たいほうべや)を創設しました。
平成17年(2005)に大鵬が定年退職を迎えたため、師匠を16代大嶽に交代し、部屋名称も大鵬部屋から大嶽部屋に変更しました。その後、平成22年7月に大竜が大嶽を襲名し、部屋を継承。
29. 深川資料館通り商店街(ふかがわしりょうかんどおりしょうてんがい)
深川江戸資料館に面した約800メートルの通りに、約100店舗が建ち並ぶ商店街。商店街の西側には清澄庭園、東側には東京都現代美術館があります。毎年9月には、かかしコンクールを開催。個性的な「かかし」が通りにずらりと並びます。個性的なお店が建ち並び、何度訪れても新しい発見ができます。