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松尾芭蕉ゆかりの地
江戸時代、数々の名句や紀行文を残した俳諧師・松尾芭蕉は、深川の庵を拠点に活動しており、「おくのほそ道」の壮大なる旅もこの地から始まりました。そのため、深川界隈には芭蕉にまつわる史跡が数多く残されています。芭蕉ゆかりの地を散策して、往代の偉人に思いを巡らせてはいかがでしょうか。
観光テーマ・スポット一覧
1. 小名木川五本松跡 (注:史跡)(おなぎがわごほんまつあと)
江戸時代、小名木川北岸の九鬼家の屋敷に、枝を張った形の良い老松がありました。徳川吉宗がこれを感嘆したことから有名になり、名所となりました。
松尾芭蕉がこの場所に舟を止め、「川上と この川しもや 月の友」の句を残したり、歌川広重が描いたりもしています。
明治の末にこの松は枯死しましたが、昭和63年(1988)9月、現在の地に復活しました。
2. 長慶寺(ちょうけいじ)
境内には発句塚、時雨塚、短冊塚とも呼ばれた「芭蕉翁句塚跡」があります。句塚は戦災で失われ、現在は台石が残るのみとなっています。
3. 芭蕉庵史跡展望庭園(ばしょうあんしせきてんぼうていえん)
隅田川の遊歩道沿いに芭蕉記念館の分館である芭蕉庵史跡展望庭園があります。展望庭園は隅田川と小名木川に隣接し、四季折々の水辺の風景が楽しめます。 庭内には、17時に回転する芭蕉翁像や芭蕉庵のレリーフがあり、往時を偲ぶこともできます。また、22時までライトアップされていて、隅田川の遊歩道から見ることができます。
※庭園が開園している時間は9時15分~16時30分のため、像が回転しているところは間近でご覧頂くことができません。
4. 芭蕉稲荷神社(ばしょういなりじんじゃ)
芭蕉稲荷神社は、大正6年(1917)に地元の人たちの手でまつられたもので、境内には、芭蕉庵跡の碑や芭蕉の句碑があります。この辺りに芭蕉の住んだ芭蕉庵があったとされ、東京都の旧跡になっています。庵の土地は、芭蕉の門人である杉山杉風の所有地で、延宝8年(1680)に移り住んでから元禄7年(1694)10月に51歳で亡くなるまで、この地から全国の旅にでました。
5. 芭蕉記念館(ばしょうきねんかん)
新大橋と清洲橋が望める隅田川のほとり、俳聖・松尾芭蕉が庵を結んだゆかりの地にこの記念館はあります。芭蕉は、この庵を拠点として、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残しました。また、芭蕉記念館は、平成14年(2002)5月に日本旅のペンクラブが行う「21世紀・芭蕉のみち」認定地として、都内で唯一認定されました。記念館近くの歩道には「旧新大橋跡」の碑が建っています。元禄6年(1693)に最初に架けられた新大橋。ちょうどその頃近くの深川芭蕉庵に住んでいた芭蕉は、新大橋の工事中に「初雪や かけかかりたる 橋の上」の句を、また橋の完成を見て「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」の句を詠みました。
6. 臨川寺(りんせんじ)
承応2年(1653)鹿島根本寺(茨城県)の冷山和尚が小名木川の辺りに草庵を結んだことに始まり、その後瑞甕山臨川寺となりました。この地に移り住んだ芭蕉が仏頂禅師と親交を深め、たびたび参禅に訪れたといわれるため、芭蕉ゆかりの寺として有名です。堂内には芭蕉の木像が、また境内には芭蕉ゆかりの「墨直しの碑」や「由緒塚の碑」などがあります。
7. 大島稲荷神社(おおじまいなりじんじゃ)
五穀豊穣の神をまつる神社で、大島神社とも呼ばれています。
境内には、松尾芭蕉の句が書かれた江東区登録文化財の碑「女木塚碑」があるほか、芭蕉像や小林一茶の句碑などもあります。
8. 度会園女墓(わたらいそのめはか)
寛文4年(1664)に伊勢山田で生まれた園女は、医師・斯波(度会)一有の妻で夫とともに大阪に住み、俳諧を好み芭蕉の門人となりました。夫の死後、宝永2年(1705)に宝井其角を頼って江戸に出て、富岡八幡宮前で眼科医を営みました。桜を愛好した園女は、正徳の頃富岡八幡宮に36本の桜(すべて焼失)を植え奉納しました。享保11年(1726)に死去し、雄松院に葬られています。
9. 採荼庵跡 (注:史跡)(さいとあんあと)
元禄2年(1689)に松尾芭蕉は、ここから『おくのほそ道』の旅へ出発しました。採荼庵は、芭蕉の門人である杉山杉風の別荘でした。正確な地点は明らかではありませんが、仙台堀川にかかる海辺橋に近い深川平野町内(深川1-8付近)にあったといわれています。これにちなんで、海辺橋の橋台地には濡縁に腰掛けた旅姿の芭蕉像が設置されています。
また、仙台堀川の海辺橋から清澄橋の間の護岸に設置された「芭蕉俳句の散歩道」には、奥の細道の行程順に代表的な句が書かれた高札が立てられています。