モデルコース
【おすすめまちあるき】浅間神社と旧中川ウォークコース
神話の世界や富士信仰を今に伝える浅間神社を訪ね、帰り道は川風を感じながら、旧中川の河川敷を散策しませんか。
■■■■■浅間神社と旧中川ウォーク■■■■■
【スタート】1.東大島駅
⇩
2.四神・青龍
⇩
3.東京都交通局都営新宿線車両搬入口
⇩
4.南本所牛島神社々趾
⇩
5.小松川神社
⇩
6.旧小松川文書庫
⇩
7.逆井の渡し跡
⇩
8.元佐倉道跡
⇩
9.亀戸浅間神社
⇩
10.旧中川河川敷
⇩
【ゴール】 11.東大島駅
【距 離】約3.5㎞(所要時間 約120分)
【最寄駅】都営新宿線「東大島駅」
※ご紹介している内容には、他区の施設も含まれています。
https://koto-kanko.jp/img_data/C0007_pdf.pdf?20201012113112 (コースマップ)
観光テーマ・スポット一覧
1. 【スタート・ゴール】東大島駅(ひがしおおじまえき)
都営新宿線の東大島駅は、ホームが旧中川をまたいでおり、西改札口は江東区、東改札口は江戸川区にあります。ホームには行政区分標も設置させていますが、駅長室が江東区側にあるため、駅の所在地は江東区に属しています。平成12年(2000)に関東の駅百選にも選出されています。
2. 四神・青龍(しじん・せいりゅう)
東大島駅前にそびえる勇壮なモニュメントは、中国古代思想に由来する「四神」のひとつ、青龍です。
四神は天の四方の方角をつかさどる神で、青龍は東の方角を守るとされています。また、春をつかさどり、青色を象徴します。平成9年(1997)設置。
江東区にはこのほかに亀戸の「玄武(北)」、若洲公園の「朱雀(南)」、豊洲の「白虎(西)」と四神が揃い、東西南北を守っています。
3. 東京都交通局都営新宿線車両搬入口(とうきょうとこうつうきょくとえいしんじゅくせんしゃりょうはんにゅうぐち)
「地下鉄車両はどこからはいるのでしょうか?」という疑問に答えるのが、東大島駅の南側に位置する都営新宿線車両搬入口です。地下鉄車両の搬入にはいくつかの方法がありますが、都営新宿線ではトレーラーで運ばれてきた車両をクレーンで吊り上げ、竪穴から入れています。東大島駅の北側には、車両基地である都営新宿線大島車両検修場があります。
4. 南本所牛島神社々趾(みなみほんじょ うしじまじんじゃしゃあと)
大島小松川公園の南西の角あたりは、かつての南本所の出村でした。ここに鎮守守護として親しまれていた牛島神社がありました。もともと石井甚左衛門の屋敷内にあった稲荷神社を村内の産土神とし、さらに墨田区の牛島神社の分霊を併祀したものです。その後、昭和20年(1945)3月の空襲で被災し、昭和25年(1950)にほかの4つの神社とともに東大島神社に合祀され、今に至っています。
5. 小松川神社(こまつがわじんじゃ)
御祭神は天照皇大神、経津主神を奉祀しています。大正元年(1912)の荒川放水路の開削によって、当地域は大正3年(1914)西小松川から分離して小松川町となりました。もとの氏神であった西小松川天祖・香取両神社御祭神を奉斎し、昭和12年(1937)6月4日遷座祭を執行、小松川神社と称しました。子狛犬の表情を見るのも一見の価値があります。
6. 旧小松川文書庫(きゅうこまつがわぶんしょこ)
この一帯は、明治11年(1878)に南葛飾郡役所があったところです。昭和7年(1932)東京35区が誕生し、江戸川区役所になりました。この2階建て建物は大正13年(1924)にコンクリートブロック建築で郡役所の倉庫として建てられたもので、江戸川区役所では行政文書を納める文書庫でした。昭和20年(1945)3月10日の大空襲の際に焼失を免れたものの、内部の真っ黒に焼け焦げた壁などがそのまま保存されています。
7. 逆井の渡し跡(さかさいのわたしあと)
江戸時代、幕府は防衛上の理由から安易に川に橋を架けなかったため、中川を渡るときは渡し船を使用しました。逆井の渡しは、江戸より亀戸村を経て下総の佐倉成田方面へ通ずる佐倉往還(千葉街道)にあり、江戸時代の重要な渡しでした。また、八代将軍吉宗も鷹狩りに訪れたおり、逆井の渡しを利用した記録があります。歌川広重の「名所江戸百景」や「新編武蔵風土記稿」で風光明媚で情緒豊かな風景が描かれています。
8. 元佐倉道跡(もとさくらみちあと)
元佐倉道は江戸と房総を結ぶ主要な道でした。のちに、佐倉へ通じる道は、新宿から分かれて小岩の関所に至る「水戸佐倉道」が開けたために、「元佐倉道」と呼ばれ、この道は人々の信仰と遊山を兼ねた成田不動詣でにぎわいました。明治時代には「千葉街道」となり、さらに京葉道路ができると「旧千葉街道」と呼ばれるようになりました。
9. 亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)
関東一大きいといわれる「茅の輪」、オトタチバナヒメゆかりの「笄塚」、そしてその笄塚を利用して築かれた「亀戸の富士塚」で有名な神社です。
笄塚には、ヤマトタケルノミコトの妻オトタチバナヒメが荒れた海を鎮めるため海に身を投げた後、笄が流れ着いたという逸話があります。
安政2年(1855)の大地震で社殿が倒壊しましたが、明治11年(1878)富士山より溶岩を運んで富士塚を築き、その上に再建されました。この富士塚は、江東区の有形民俗文化財で、浅間神社に隣接する浅間公園内にあります。富士塚上に再建された社殿は、平成9年(1997)に東京都の再開発により現在地に移設されました。
10. 旧中川河川敷(きゅうなかがわかせんじき)
東京都が40年間かけて行った旧中川の改修整備事業により、緑化された河川敷が誕生しました。
遊歩道からは、旧中川に生息するサギ・カワウ・カルガモ等の野鳥も眺めることができ、のどかな風景が広がっています。